名言で振り返る浅田真央の強さ
日本フィギュア界をリードしてきた浅田真央選手が惜しまれながら引退を表明しました。フィギュアスケート界のみならず、日本スポーツ界に多大なる影響を与えた彼女の功績ははかりしれません。
今回は、浅田真央選手の栄光の足跡を、彼女自身の言葉で振り返ってみました。誰からも愛される人間性、天才と称されたスケーティング技術は周知の事実ですが、数々のメッセージをたどることで、いっそう浅田選手の強さが垣間見えてきます。
2002年
初出場の全日本選手権で7位。3連続3回転ジャンプの大技を決めて姉の舞を上回り
「お姉ちゃんに勝てて本当にうれしい」
2005年
初出場のGPファイナルでSP首位に立ち
「すごいですねえ。びっくりしました。びっくり、びっくりです。」
フリーも1位、スルツカヤを破って優勝。
「(女王に勝つのは)全然、予想していなかった。びっくりしている。滑る前はすごく不安だったけど滑り始めたら大丈夫だった。全部ジャンプが決まってうれしい。今日は百点です。」
年齢制限でトリノ五輪に出場できないことについて
2006年
「ちゃんと跳べた。ちゃんと回った」
2010年
バンクーバー五輪の大会前、天才少女と呼ばれることに
「どうなんですかね。でも努力をしないでできる人はいないと思うんですよ」
「いろいろ考えて長かったなと思ったりしたけど、4分間はあっという間だった。悔しい」「アクセルをオリンピックで3回決めたのは誇りに思いたい」
2011年
母の匡子さんが亡くなった後、発表したコメントの中で
「私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度『ありがとう』と言っても足りません」
全日本選手権で5度目の優勝。亡くなった母について
「喜んでくれていると思います。今日も一番近くにいるような感じがした」
2013年
ソチ五輪シーズン限りで引退表明
「五輪という最高の大きな舞台で、集大成としていい演技ができるようにしたい」
2014年
ソチ五輪はフリーで好演技を見せて6位
「自分が目指している演技ができた。今まで支えてくれた方に、今回はメダルという形で結果を残せなかったが、自分の中で最高の演技ができたので良かった。」
終盤、バンクーバー五輪ではミスした他のジャンプを決めたことに
「最後の2発はバンクーバーがすごいよみがえってきた。自分へのリベンジはできた」
帰国後の記者会見で現役続行か、引退かを問われ
「自分の気持ちと向き合って考えていきたい。今のところハーフハーフくらい」
次シーズンの休養を表明し
「先のことはわからない。時の流れに任さればいいのかなというのが今の気持ち」
2015年
自身のホームページで現役続行を表明
「最高の演技をいた時の達成感や喜びの感覚が恋しくなり、試合に戻りたいと思うようになりました」
2016年
15年11月の中国杯後の不振に触れ
「今季は苦しいうちに入らなかった。今までにたくさん苦しいことを乗り越えてきた。どんなことが起きても大丈夫だと思っている」
演技の表現力について
「競技の楽しみの一つになった。15歳の時はジャンプが楽しいだけだったが、いろいろな喜び、悲しみを経験してきたからこそ、出せるものがある」
全日本選手権で12位と惨敗
「全日本で全てを出そうと思っていたので残念。お客さんからたくさんのパワーをもらえたのに恩返しができなかった」
引用元/中日新聞4月12日朝刊